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ザ・タイガース〜沢田研二のレコード [J-POP]

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PETTYさんの周辺のブログでなぜか沢田研二がプチ・ブームになっておりますが、それを受けて今度は私がPETTYさんとはまた違った角度や思い入れで記事にしてみたいと思います。

ということで、ここでは'77年に「勝手にしやがれ」でレコード大賞を取ったあと、その存在が社会現象となっていった'70年代後期から'80年代初期を中心にご紹介します。

実は私も小学生の頃からタイガース(阪神じゃないよ・笑)が大好きで、その頃はまだ家にステレオがなかったっためレコードこそ買わなかったけれど、よくラジオで聴いたりテレビの歌番組にタイガース出るとかじりつくようにして観ていたもんでした。
いちばん好きだったのはやっぱりヴォーカルのジュリーこと沢田研二。あの人はその頃から何か中性的で不思議な魅力を放っていた人でした。

中期までのシングル曲を集めたタイガースのベスト盤と、デビュー曲の「僕のマリー」をはじめ、ラスト・シングルとなった'71年の「誓いの明日」などのシングル。
「誓いの明日」だけは当時リアルタイムで買いましたが、それ以外は友人のお姉さんからの貰いものや中古で入手したもの。


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私は後期の曲がけっこう好きで、ビー・ジーズが楽曲提供した「Smile For Me」とか、晩年に出した「Love Love Love」、「都会」あたりは持ってないのでシングル探してます。

'71年春のタイガース解散後、ジュリーは和製ニュー・ロックを目指して結成されたスーパー・バンドPYGに加入し、同時期にそれと平行して初のソロ・シングル「君をのせて」を発表。その後PYGから発展したバンドの井上尭之バンドをバックに従え本格的にソロ活動を行ない、俳優としても活躍しますが、その辺りはPETTYさんのブログでどーぞ^^。

タイガース解散から数年間はほとんど興味が失せていたのですが、私の場合は'75年の「時の過ぎ行くままに」とその曲が劇中歌として使われたTVドラマ「悪魔のようなあいつ」を観たあたりからまたジュリーへの関心が再燃しました。

そして'77年に「勝手にしやがれ」でレコード大賞を取った前後から奇抜なファッションやメイクによる中性的なセックス・アピールでジュリーのパフォーマンスはますますTV向けのヴィジュアルを重視したものへと向かって行きました。
これは欧米と違って音楽文化の中心がラジオやライヴではなくあくまでTVであるという日本の特殊性(最近はそうでもなくなったけど)をフルに利用した展開と言えるでしょう。

そのハンパないオーラと派手なパフォーマンスで女性ファンはもちろん我々同性をも惹き付けてしまうような魅力を放つジュリーは音楽的にも歌謡曲とロックの垣根を取り払い、それまで日本にはいなかった画期的なポップ・アイコンとしての地位を確立して行きます。

こういうタイプのアーティストは海外ではデヴィッド・ボウィとか、日本では現在は木村拓哉なんかが(この人は音楽的には全然タイプが違うけど、放つオーラや存在感が極めて似ている)同じタイプだと思いますが、何十年かに一人くらいしか現れない希有な存在だったことは間違いないでしょう。
ジュリーがその後の歌謡界や日本のロック・シーンに与えた影響は計り知れないものがあると思います。

「勝手にしやがれ」「サムライ」「カサブランカ・ダンディ」などのソロ・シングル。もっとあったはずなんだけど、あと数枚は多分私の弟のところかも。

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これは'80年12月発売のアルバム「G.S. I LOVE YOU」(私は未所有)発売時の購入特典か何かだったと思われるソノシート。
ジュリーのクリスマス&新年の挨拶やコメントが入っていて、なぜかタイガース「君だけに愛を」も同時収録。


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「勝手にしやがれ」で被っているパナマ帽を放り投げたのを手始めに、「カサブランカ・ダンディ」でのウイスキーのラッパ飲み&霧吹き、「恋のバッド・チューニング」でのちょっと怖かったゴールドやブルーのカラコン使用、「ヤマトより愛を込めて」での血まみれ包帯など、奇抜なパフォーマンスで我々を魅了したジュリーですが、極めつけは何と言ってもミリタリーの電飾の衣装にパラシュートを背負った「Tokio」のインパクトにとどめを刺すでしょう。



当時"コピー・ライター"という職業を自らの存在と共に世に認知させた糸井重里が作詞、作曲は長年の盟友でこれまでにもたくさんのヒット曲を提供してきた元ワイルド・ワンズ加瀬邦彦、編曲が元サディスティック・ミカ・バンドの2代目ベーシスト、後藤次利というこの曲では当時の最先端だったテクノを取り入れた冒険作で、かなりのヒットを記録。私はアルバムも買いました(シングルは行方不明)。

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ウラのオビには「眠れなくなるよ」という文字が。どーゆー意味かよく分かりません(笑)。

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ジャケのデザインも斬新なこの'79年のアルバム「TOKIO」では上記ライターの他に大野克夫、BORO、りりィなどが曲を提供しています。
まあ今聴くと当時言われたほどテクノ色が強いとは思えないですが、バラエティ豊かでなかなか充実したアルバムになっています。
最初にオーヴァーチュアーみたいなインストで始まり、1曲目が「Tokio」、そしてB面の最後が再び「Tokio」のリプライズで終わるというトータル・アルバムっぽい作りになっているのも面白い。

このアルバム発売に先駆けてリリースされたシングル「ロンリー・ウルフ」も収録されていますが、喜多条忠作詞、大野克夫作曲によるこの曲は個人的に大好きな曲で、最初の印象こそやや弱いけど、聴くほどに心に沁み入るスルメ曲。数あるシングルの中でも名曲の1曲だと思います。



ずっとあとになって友人にもらったのが'81年に発売されたベスト・アルバム「ROYAL STRAIGHT FLUSH 2」

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このアルバムはどれくらい売れたのかは知りませんが、「VOL.1」はベスト・セラーになっているアルバム。
古いところでは'76年の「立ち止まるなふりむくな」から、この時点での最新シングルの「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」まで全12曲を収録。ゴールドのジャケも豪華。このあと「3」も出ています。

そして'82年に発売になったのが、全曲を井上陽水が書き下ろした隠れた傑作「MIS CAST」

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最初は2、3曲だけの予定だったものが、陽水がノってしまい結局アルバム全曲分を書き下ろしたというアルバムで、このアルバムからは「背中まで45分」がシングル・カットされました。
ジュリー井上陽水という、一見するとそれこそミスキャストのように思えるこのコラボですが、そのふたりが化学変化を起こして醸し出している独特の雰囲気に不自然さや違和感は全くなく、逆にそれがいい結果となって表れたアルバムです。

ほとんどのアレンジを担当しているのがムーンライダーズ白井良明で、すでにジュリーのシングル「6番目のユウウツ」を手掛けていましたが、このアルバムでも全体的に当時としてはかなり斬新なニュー・ウェーヴっぽいアレンジが施されています。

ただ、これが今聴くと明らかにやり過ぎじゃね?という奇をてらったようなオーヴァー・アレンジが耳に付く曲がいくつかあるのが難点で、そこに白井良明の頭でっかち振りがモロに出てしまっているのが残念。しかしそこを陽水の楽曲自体の素晴らしさが補っているという感じでまとまりはいいアルバムです。

これとほぼ同じ時期に陽水本人も「ライオンとペリカン」というアルバムを発表していますが、このアルバムではジュリーのアルバムに提供した曲のうち「背中まで45分」「チャイニーズ・フード」の2曲をセルフ・カヴァーしていて、雰囲気的にもまるで双子アルバムと言っていい内容です。

ちなみにこのアルバムは大ヒットした「リバーサイドホテル」も収録された名盤ですが、ジュリー「リバーサイドホテル」っていうのも聴いてみたかったなあ。

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陽水は次のアルバム「9.5カラット」でもジュリーに提供した「A.B.C.D.」をセルフ・カヴァーしています。(ちなみにこのアルバムには中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」のセルフ・カヴァーなども収録)

この時代のジュリーのバックを務めていたのはベースの吉田健を中心としたEXIOTICSで、レコーディング時の演奏ももちろん彼ら。
この後のジュリーはそのヴィジュアルもサウンドもどんどんニュー・ウェーヴ方向に進んで行きますが、私がフォローしていたのはこの時期まで。

その背景に第2次アイドル・ブーム到来があったため、残念ながらこのあたりをピークにしだいにヒット曲も出なくなり人気も下降線を辿りますが、30を過ぎてもずっと第一線のアイドル的な立ち位置にいた歌手というのもこの人が初めてでした。

その後ナベプロ離脱、自分の事務所の設立、最初の奥さん(ザ・ピーナッツの片方)との離婚、女優・田中裕子との再婚などを経て、現在も地道にアルバムやシングルをリリースし、コンサート活動も行っています。

最近はすっかり中年太りしちゃってかつての美青年オーラがなくなったのは長年のファンとしてはちょっと悲しいものがありますが(笑)、もう全然テレビに出なくなってしまって久しいので、たまには今の歌声を聴いてみたいものです。








TOKIO

TOKIO

  • アーティスト: 阿久悠,糸井重里,武衛尚子,門谷憲二,康珍化,りりィ,後藤次利
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルミュージック
  • 発売日: 2005/03/30
  • メディア: CD

MIS CAST

MIS CAST

  • アーティスト: 井上陽水,岡田徹,白井良明
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルミュージック
  • 発売日: 2005/03/30
  • メディア: CD

LION&PELICAN

LION&PELICAN

  • アーティスト: 井上陽水,川島裕二,星勝,後藤次利,伊藤銀次,中西康晴
  • 出版社/メーカー: FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INC(BMG)(M)
  • 発売日: 2009/03/25
  • メディア: CD



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コメント 23

PETTY

いゃぁ〜MASAさん!凄い!!濃い!!!
これ3回くらいに分けてくれてもよかったくらい。
「嘆き」なんて売れなかったけど、僕好きだなぁ〜。
沢田研二のヴィジュアル、そしてテレビの関わりを語る上で
もっとも重要な人が「早川タケジ」だと思います。
※「ROYAL STRAIGHT FLUSH 2」のでディレクションも
早川タケジ。
「早川タケジ」はファッション面だけでなく、トータルなアートディレクションで沢田を変幻自在の存在にしてしまったこと・・・
糸井重里の起用もそうだけど、すべてジュリーが先駆者だったことを思うと・・・こんな影響力があった人は今後出てこないでしょうね。

「悪魔のようなあいつ」と同じくらい、もう一度見たいのが、
NHKの「山河燃ゆ」です。これ・・・歴史時代ものじゃないから大河ドラマの歴史からも抹殺されたようなもので・・・ソフト化もされていないのではないでしょうかね。


by PETTY (2010-01-24 19:52) 

bluebird

物凄く感動して興奮してるんですが!!(笑)

あちこちで言っていますが、ワタクシジュリーが初恋でした(/▽\)きゃー♪

「時の過ぎ行くままに」で6歳ですから、この曲の素晴らしさに気づいたのはもちろんかなり後の話です。
やはり、はっきり好きだと思ったのは「勝手にしやがれ」からでしょうか。
コドモだから、レコード買うなんてアタマはなく、ただただTVにかじりついていた覚えがあります。
GSも後から知ったから、ジュリーは「歌謡ロック」の人という認識でした。
(「勝手にしやがれ」「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」あたりのドーナツ盤はおねだりして買ってもらったから家にあったんだけどな・・どこへ・・^^;)

しかし・・色んな事が分かって充実の数日間です(笑)
ワタシ、ジュリーのアルバムは所有しておりません。
シングルコレクションのCDのみです。
だから、楽曲提供者やアレンジのこと、初めて知ったことがほとんどです。
ここ読んでよかったぁ~!!

今思うと、「グラマラスで色っぽくて美しくて中性的でお化粧似合って」という好みの原点は、全てジュリーとデヴィッド・ボウィにあるんだなぁ・・
分かりやすすぎですね、ワタクシ(笑)
「6番目のユウウツ」なんて、ゾクゾクしました。

大澤誉志幸や、佐野元春も楽曲提供していましたよね!
「晴れのちブルーボーイ」とか。

60歳祭りのヴィジュアルは衝撃的でしたが^^;歌唱力声量はやはり素晴らしく、改めて好きでよかったなー!と思った次第です。
by bluebird (2010-01-24 21:29) 

bluebird

あ、余談ですが、伯母さん(母の姉)が若い頃、ジュリーになんとなく似ていました(笑)
ほくろも同じとこにあって^^
子供の頃「似てる・・」と思っていましたw
by bluebird (2010-01-24 21:53) 

MASA

PETTYさん、いかがでしたか、この記事。
さっき「シーシーシー」の動画を追加しましたよん。
拙い文章ですが、私も久々にリキ入れて長いの書きましたわ〜^^。

タイガースやジュリーの曲をまとめて聴くのが実に久しぶりだったんですが、聴いたりこれ書いてるうちに自分ってこんなにジュリーのファンだったんだー、と再認識しました(笑)。
確かに何回かに分けようかな、とも思ったのですが、結局1本にまとめました。

「嘆き」は初めはジュリーのソロ・シングルにするつもりだったらしく、ジュリー以外のメンバーがだれも録音にしてないんですよね。

早川タケジって私はよく知らなかったので特に書きませんでしたが、「TOKIO」のジャケもこの人の担当です。有名な人なんですね。
「山河燃ゆ」って残念ながらあんまり記憶ないなあ。あの時代は大河のウラでやってた中村雅俊とかの青春ドラマ観てたから^^;

まあいずれにしてもあんな怪物みたいな人は当分日本には出て来ないでしょうね。
by MASA (2010-01-24 23:45) 

MASA

姐さん、そんなに感動してくれて書いてよかったっす^^。
そう言えば吉井和哉もジュリーの雰囲気を持っている人ですもんね。
そのルーツとしてジュリーやデヴィッド・ボウィが子どもの頃に刷り込まれていたというのは全く納得です。
日本の男性歌手にはほとんど興味がない私でさえファンになったジュリーは偉大です(笑)。

そうそう、ちょっと後になって大澤誉志幸や佐野元春の曲をやってましたね。
その辺りにあるともう私は全然レコード買ってないんですが、今にして思えばずっとフォローしとけばよかったなあと思います。

今は原曲よりちょっと下げたキーで歌ったりしてますが、歌唱力は衰えませんね。
記事にはひと言も書かなかったけど、ジュリーの声や歌い方も好きです。

ジュリーにそっくりなおばさまは今もお元気ですか〜?
若い頃にお会いしたかったですなあ^^。

by MASA (2010-01-25 00:00) 

paddies

はじめまして
PETTYさんとbluebird に手を引かれてお邪魔しました。
よろしくお願いします。
沢田研二の魅力ですが
与えられた3分間に最高のライブ・・・
本当に凝縮された”3分”の真剣勝負だったと思います。
by paddies (2010-01-25 09:45) 

bluebird

あ!^^
paddiesさんだ♪

MASAさんがイエモンと吉井さん苦手だって知ってたから、あえてコメントにいれなかったんです。
覚えててくれて、とり上げてくださって、ありがとう、嬉しいです。
ジュリー好きだったから吉井さんにいったのは、絶対に確かです(笑)

by bluebird (2010-01-25 13:17) 

PETTY

あ!^^
paddiesさん& bluebirdだぁぁぁぁぁ♪

お邪魔しました(笑)

ジュリーがルーツ

そういう人多いみたい。

JESSE THE CITYもそんな一人だと・・・・

かっこいいなぁ〜

by PETTY (2010-01-25 14:28) 

ノーバッド

巴里にひとり
そばにいたい
お前は魔法使い
Dirty Work
おまえがパラダイス    オイラのベスト5です (^。^)
by ノーバッド (2010-01-25 19:35) 

MASA

paddiesさん、ご訪問ありがとうございます^^。
コメントはしてませんが、PETTYさん経由でたまーにブログは拝見させてもらってます。
これからもよろしくです。

おっしゃるとおり、ジュリーが出てくると場の空気がちょっと変わり、3分間でブラウン管のこちら側の我々をすっかり魅了してましたね。
後にも先にもあんなオーラを放つ男性アーティストはあれ以来私は見かけません。
貴重な存在でしたね。
by MASA (2010-01-25 21:07) 

MASA

姐さん再びどーもです。
実はイエモンは別にキライってわけじゃなかったですよ。
「ラブラブショー」とか「バーン」とかカラオケで歌ったことあるし(笑)。
あの頃よりも今の方がジュリー化が進んでいるように思いますねえ^^。
by MASA (2010-01-25 21:12) 

MASA

PETTYさんも再びどーもです。
ジュリーって今でも根強い人気があるみたいで、この記事のアクセス数、普段よりもスゴく多くて驚いてます^^。

やっぱりファンも多かったし、ルーツに持つアーティストも多いってことなんでしょうね。
ジュリーのすごさをまたまた再認識です。
by MASA (2010-01-25 21:17) 

MASA

ノーバッドさん、どーもです。
シブイところがお気に入りですね^^。
そう言えば「パリにひとり」って、東洋人としてはフランスで初のベスト10ヒットになったんですよね。
海外でもジュリーの人気と実力が通用したというのは当時すごいなあと思ったし、日本人としてうれしかったですねえ。
by MASA (2010-01-25 21:21) 

東京30

ジュリーについては、MASAさんのコラムを読んで記憶から抜けていたことも思い出すことができました。
ちょっと外れますが、ピーは今どうしてられるんでしょうね。たしか、慶応中学だか高校の古文の先生になったとかなんとかいう伝聞があるんですが・・・
by 東京30 (2010-01-28 00:07) 

MASA

東京30さん、どーもです。
そうそう、ピーはタイガース解散後芸能界から完全に引退して、高校に入り直して大学も出て教師になったんでしたっけね。
なんか、他のメンバーとは仲が悪かったような。
一説によると、その教師ももう定年退職したようです。
by MASA (2010-01-28 00:25) 

東京30

タイガースの5人はわたしからすれば、お兄さんだったんですけど、「定年退職」ですか。

わたしのタイガースに対するイメージは、「ほんの若造」ですが、「定年退職」かぁ・・・。そりゃ、わたしもおじさんになるわけだ。
タイガースのメンバーの中で「定年退職」せずにがんばってるのは、ジュリーとサリーでしょうか。後タローは作詞家かなんかで活躍されてましたっけ。

トッポは、ニックネームからしてダサかったなあ。シローが入って来たころは、もうタイガースに興味を失くしてました。

懐かしいなぁ!わたしの嫁。嫁といっても50過ぎたおばはんですけど、嫁の友だちが、熱烈なジュリーファンで、さほどジュリーがマスコミに出ないときでも、コンサート情報などをしっかり押さえて、見に行ってます。

とにかくジュリーにこれだけ熱心なファンが付く強みは、歌が上手いに尽きると思います。天性の何かがあるんでしょうね。
by 東京30 (2010-01-28 13:45) 

parlophone

こんばんはー。
PETTYさんのところにも書きましたけど、ぼくも中学時代はタイガースが好きで、ライヴを見に行きました。
オリジナルは数曲で、それ以外はほとんどストーンズのカヴァーだったんですが、それがきっかけでぼくはストーンズのファンになったんですよねー。
ぼくはけっこう熱心にラジオのポップス番組を聴いていたんですが、それまでストーンズといえば「黒く塗れ」と「サティスファクション」ぐらいしか知りませんでしたからねー。
で、当時だれが好きだったかというと、やっぱりジュリーです。
当時は絵を描くのが好きだったので、ちょっと恥ずかしい思いをしながら本屋で『明星』や『平凡』を買ってきて、それを見ながらよくノートの切れ端にジュリーの似顔絵を描いていました。
それと明治チョコレートのCMをタイガースがやっていたので、キャンペーンに応募してソノシートかなんかをもらったような気もするんですが…。

by parlophone (2010-01-28 20:10) 

MASA

東京30さん、再びどーもです。
タローは以前レコード会社でプロデューサーをやってたと思いましたが、今はどうなんですかね。

トッポが抜けてシローが入って来た時はちょっとジョン・レノンみたいだったんでカッコイイと思いましたが、あんまり活躍しませんでしたね(笑)。

東京30さんの周りにも熱心なファンが多いようですね。
まあ我々アラフィフ世代が思春期の頃に人気があった人ですから、その世代の女子にファンが多いのは当然かも知れませんね。
by MASA (2010-01-28 21:12) 

MASA

遼さんまでがジュリーのファンだったとは、ジュリー恐るべしですね(笑)。
ライヴまで観にってるんですか、羨ましいなあ〜。
タイガースがきっかけでストーンズのファンになったというのもいいですね。
私も当時「Time Is On My Side」とかやってたのは覚えてます。

明治チョコレートのソノシートは私の友人のお姉さんが持っていて大昔に借りたことがあるんですが、3年ほど前に亡くなったのでソノシートそのものは行方不明です。
ちょっともったいないですね^^。
by MASA (2010-01-28 21:19) 

Backstreets

こちらにもお邪魔します。
1970年代後半から80年代初頭にかけて、京都では「河原町のジュリー」と呼ばれるホームレスのおじさんが繁華街である四条河原町界隈を日々闊歩していました。本物の沢田研二さんとは似ても似つかず、油で煮固められたような髪型は「河原町のボブ・マーリー」というほうが適切だったのかもしれません。汚れた襤褸服をまといながらも威厳を失わぬ風格に、地元出身の大スターである沢田研二さんの名を借りて名付けられたのでしょう。また、この時期、学校や職場でも自称、他称に関わらずジュリーと呼ばれる人がよくいました。
その「河原町のジュリー」は1980年代の始めに円山公園で凍死。死亡を伝える記事が地元『京都新聞』にも掲載されました。有志による追悼式も行われたそうです。なお、80年代に活躍したローザ・ルクセンブルグの「だけどジュリー」は彼のことを歌ったと言われています。
by Backstreets (2010-01-30 11:43) 

MASA

おー、そんな人がいたんですね。全然知りませんでした。
ローザ・ルクセンブルグが歌にまでしてるんですか。
まあ"○○のジュリー"という言い方をされた人は確かに昔は何人かいたように思います。
それだけ当時のジュリーの影響力の強さを感じますね。
by MASA (2010-01-30 17:09) 

juliemania

はじめまして。
小学校4年生の時、学校をズル休みして母と日劇ウエスタンカーニバルを
見に行きました。お目当てはもちろん「タイガース」母も自分が見にいきたい口実に私に「見たいでしょ?」といって電車に乗りました。会場に入るとお姉さんばかり・・お腹に響く初めてのドラムの音。日劇の石造りの階段を2階席に急ぎました。席につくと
ステージには中学生くらいに見えた「フォーリーブス」が。
しばらくするとお目当てのタイガース登場!燕尾服を着たメンバーが演奏を始めましたが、すごい歓声でほとんど声は聞こえません。
「君だけに愛を」では日劇に来ている女の子全員が嬌声を上げ強烈な印象でした。それからは親戚の家を訪問するとき必ず父が
「こいつは男なのにタイガースに関しては何でも知っている」といわれ、親戚中に私のタイガース好きが知れ渡りました。
それから早幾年月
日本の歌手で聞くのは沢田研二やタイガースだけ、私の一生に大きな影響を今でも与えています。いつ聞いても新鮮でずっと好きなまま終わると思います。
振り返るとタイガースや沢田研二とリアルタイムで生きてこれた事は大変ラッキーだったなあと思っています。
くだくだと書いてしまいました。また、お邪魔します。
by juliemania (2010-11-13 09:42) 

MASA

juliemaniaさん、はじめまして。ご訪問ありがとうございます。
どうやらワタシとjuliemaniaさんは同年代のようですね。
いやあ、日劇ウェスタン・カーニバルのタイガースをナマでご覧になっているとは羨ましい限りです。

ジュリーに始まりジュリーで終わる音楽人生もあってもいいと思います。
広く浅く音楽に触れるより、ひとつのものを深く愛するということが一番でしょうね。

おっしゃるとおり、タイガースや全盛期のジュリーをリアルタイムで体験出来たことはワタシもすごくよかったなあと思っています。
ジュリーやタイガースの記事がまたあるかどうかは自分でも分かりませんが、その時はまた覗きに来てやって下さい。
by MASA (2010-11-13 21:57) 

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