30年前の洋楽アルバム・ベスト10 [雑誌 / 書籍]
ワタシの寝室の片隅にはかつての愛読誌「ミュージックマガジン」の1980年から定期購読をやめた2001年まで約20年分のバックナンバーが山のように積まれているのですが、こないだ何の気なしに見てみたら、その中から30年前の1984年2月号を見つけました。
2月号と言えば毎年同雑誌に執筆している各ライターがその前年度にリリースされたアルバムの年間ベスト・アルバム10枚を発表するのが恒例ですが、この号には1983年度の各ライターが選ぶアルバム・ベスト10が載っています。
そしてこの当時はワタシもこれのマネをして毎年自分のアルバム・ベスト10を作っていたのですが、そのベスト10を書いたメモ紙もそのページに挟まっていたのでした。
'83年は今日まで語り継がれている名盤も数多くリリースされた当たり年ですが、あまりに懐かしいのでここでそのワタシのアルバム・ベスト10をちょっと発表してみようと思います。
1. LET'S DANCE / DAVID BOWIE
2. NO PALEZ / PAUL YOUNG
3. BITE / ALTERD IMAGES
4. HI LAND, HARD RAIN / AZTEC CAMERA
5. AN INNOCENT MAN / BILLY JOEL
6. WAR / U2
7. THE CROSSING / BIG COUNTRY
8. SHOW PEOPLE / MARI WILSON
9. UNDERCOVER / THE ROLLING STONES
10. SPEAKING IN TONGUES / TALKING HEADS
次点 1; INTORODUCING / THE STYLE COUNCIL
次点 2; SYNCRONICITY / THE POLICE
以上となっていました。
1位が「LET'S DANCE」だなんて超メジャーすぎてこっ恥ずかしい〜(笑)。実は1位にしたのはここでは言えないちょっとした個人的な思い出があるもので。
う〜ん、今や大名盤の「SYNCRONICITY」が次点でいいのか?(笑)
チャリティ・コンサートと聞けばどこにでも首を突っ込んでホントにウザかったボノのおかげでその後大嫌いになった6位のU2もよかったのはこのアルバムまで。「JOSHUA TREE」から全く聴かなくなった。
4位のアズテック・カメラは今でもたまに聴く名盤。もっと上位でもよかった。この翌年出たセカンド・アルバムの出来の悪さに失望して以降このグループも2度と聴かなくなるんですけどね(苦笑)。
まあこうして見ると比較的メジャーなアルバムが多くてあんまり面白くないベスト10です(笑)。毎年選ぶのに苦労して涙を飲んで落としたアルバムもたくさんあったし、その時の気分で選んでいるので、後からこうして振り返ってみれば後悔が残る10枚なのは仕方ないのかも知れません。
そんなワケで、ここに入らなかったアルバムのうち今なら他の何枚かを外して代わりにここに入れるべきだと思うアルバムをこの際なので改めて5枚ほど選んでみました。
まずはこれ。ロバート・パーマー「PRIDE」。
このアルバムはロバート・パーマーが'80年代にリリースしたアルバムの中では最高傑作と言ってもいい出来。テクノありエスニックありの内容で完成度は非常に高く、発売当時の「MM」誌のクロスレビューのコーナーで当時編集長だった故・中村とうよう氏も10点満点を付けた名作。
次はこれ。マルコム・マクラレン「DUCK ROCK」。
このアルバムは3年前にマルコムが亡くなった時にも記事にしたことがありますが(過去記事はコチラ)、その後のヒップ・ホップとワールド・ミュージック台頭の先駆けとなった先進的なアルバムで、今聴いても全く古さを感じさせず時代のトレンドを先取っていた名盤。今でもたまに聴きたくなります。
続いてはこちらのアルバム。ニュー・オーダー「POWER CORRUPTION AND LIES(権力の美学)」
12インチでリリースした名曲「Blue Monday」(このアルバムには未収録)の予想外の大ヒット後リリースした彼らの出世作がこれ。
所属するFACTORYレーベルが新興のインディーズゆえに日本では長らく配給するレコード会社が決まらず、確かこのレーベルはこのアルバムからようやく国内盤が発売されたと記憶します。
「Blue Monday」のヒットの後、これをきっかけに前身バンドだったジョイ・ディヴィジョンの自殺したリーダーであるイアン・カーティスの幻影を振り払うかのようにどこか吹っ切れたスタンスが功を奏し大ヒット。
休眠中ですが今でも大好きなバンドで、これ以後ワタシはずっと彼らをフォローしています。
次はジュジュ・ミュージックの旗手、キング・サニー・アデの名作「SYNCRO SYSTEM」。
これを初めて聴いたときの衝撃はハンパじゃなかったですね。
アイランド・レーベルの創始者クリス・ブラックウェルがボブ・マーリーのレゲエに続いて仕掛けた音楽がアフリカの音楽。
現地の民族音楽をベースに欧米のロックの要素を導入したナイジェリアのジュジュ・ミュージックはトーキング・ドラムなどの複数のパーカッションによるリズム隊がド迫力で聴くものを圧倒し、当時現地のナイジェリア以外では未発売のアルバムまで集めるほどこの人に夢中になった音楽ファンも多かったと思います。ただレゲエのようにあとが続かなかったのが残念。この名盤が現在廃盤とは残念至極です。
最後は一気にポップなところでこのアルバム。ホール&オーツのヒット作「H2O」。
(ワタシが持っているのはUKのみで発売のピクチャー盤)
当時のワタシは斬新で刺激的だったUKのニュー・ウェーヴほぼ一辺倒。逆にアメリカの音楽、特に"産業ロック"と揶揄された売れ線狙いの大味な音楽が大嫌いで、'70年代を引きずったままのロン毛にベルボトムのパンツというファッションに身を包み、ディストーションがギンギンのギター・サウンド(ニュー・ウェーヴはディストーションは使わない)という、時代の空気が全く読めていないバンドは見ただけで拒絶反応を起こしたもんですが、同じアメリカの音楽でしかも売れ線だったにも拘らずこのホール&オーツだけは例外的に好きでした。
キャッチーながら本質的な部分で本格派のソウルを感じるところが嫌いになれなかった理由だと思いますが、とにかくこのアルバムからは「Maneater」「One On One」などのシングル・ヒットが生まれ、このアルバムも売れまくりました。今でも愛されている名盤でしょう。
以上、取りあえずこの5枚を挙げてみました。これ以外にもまだ挙げたいものがありますが、そうすると元の木阿弥できりがなくなるのでこの辺でやめときます(笑)。
ちなみにこの1983年度のワタシのワースト・アルバムは期待を裏切った出来で残念だったポール・マッカートニー「PIPES OF PIECE」でした。
2月号と言えば毎年同雑誌に執筆している各ライターがその前年度にリリースされたアルバムの年間ベスト・アルバム10枚を発表するのが恒例ですが、この号には1983年度の各ライターが選ぶアルバム・ベスト10が載っています。
そしてこの当時はワタシもこれのマネをして毎年自分のアルバム・ベスト10を作っていたのですが、そのベスト10を書いたメモ紙もそのページに挟まっていたのでした。
'83年は今日まで語り継がれている名盤も数多くリリースされた当たり年ですが、あまりに懐かしいのでここでそのワタシのアルバム・ベスト10をちょっと発表してみようと思います。
1. LET'S DANCE / DAVID BOWIE
2. NO PALEZ / PAUL YOUNG
3. BITE / ALTERD IMAGES
4. HI LAND, HARD RAIN / AZTEC CAMERA
5. AN INNOCENT MAN / BILLY JOEL
6. WAR / U2
7. THE CROSSING / BIG COUNTRY
8. SHOW PEOPLE / MARI WILSON
9. UNDERCOVER / THE ROLLING STONES
10. SPEAKING IN TONGUES / TALKING HEADS
次点 1; INTORODUCING / THE STYLE COUNCIL
次点 2; SYNCRONICITY / THE POLICE
以上となっていました。
1位が「LET'S DANCE」だなんて超メジャーすぎてこっ恥ずかしい〜(笑)。実は1位にしたのはここでは言えないちょっとした個人的な思い出があるもので。
う〜ん、今や大名盤の「SYNCRONICITY」が次点でいいのか?(笑)
チャリティ・コンサートと聞けばどこにでも首を突っ込んでホントにウザかったボノのおかげでその後大嫌いになった6位のU2もよかったのはこのアルバムまで。「JOSHUA TREE」から全く聴かなくなった。
4位のアズテック・カメラは今でもたまに聴く名盤。もっと上位でもよかった。この翌年出たセカンド・アルバムの出来の悪さに失望して以降このグループも2度と聴かなくなるんですけどね(苦笑)。
まあこうして見ると比較的メジャーなアルバムが多くてあんまり面白くないベスト10です(笑)。毎年選ぶのに苦労して涙を飲んで落としたアルバムもたくさんあったし、その時の気分で選んでいるので、後からこうして振り返ってみれば後悔が残る10枚なのは仕方ないのかも知れません。
そんなワケで、ここに入らなかったアルバムのうち今なら他の何枚かを外して代わりにここに入れるべきだと思うアルバムをこの際なので改めて5枚ほど選んでみました。
まずはこれ。ロバート・パーマー「PRIDE」。
このアルバムはロバート・パーマーが'80年代にリリースしたアルバムの中では最高傑作と言ってもいい出来。テクノありエスニックありの内容で完成度は非常に高く、発売当時の「MM」誌のクロスレビューのコーナーで当時編集長だった故・中村とうよう氏も10点満点を付けた名作。
次はこれ。マルコム・マクラレン「DUCK ROCK」。
このアルバムは3年前にマルコムが亡くなった時にも記事にしたことがありますが(過去記事はコチラ)、その後のヒップ・ホップとワールド・ミュージック台頭の先駆けとなった先進的なアルバムで、今聴いても全く古さを感じさせず時代のトレンドを先取っていた名盤。今でもたまに聴きたくなります。
続いてはこちらのアルバム。ニュー・オーダー「POWER CORRUPTION AND LIES(権力の美学)」
12インチでリリースした名曲「Blue Monday」(このアルバムには未収録)の予想外の大ヒット後リリースした彼らの出世作がこれ。
所属するFACTORYレーベルが新興のインディーズゆえに日本では長らく配給するレコード会社が決まらず、確かこのレーベルはこのアルバムからようやく国内盤が発売されたと記憶します。
「Blue Monday」のヒットの後、これをきっかけに前身バンドだったジョイ・ディヴィジョンの自殺したリーダーであるイアン・カーティスの幻影を振り払うかのようにどこか吹っ切れたスタンスが功を奏し大ヒット。
休眠中ですが今でも大好きなバンドで、これ以後ワタシはずっと彼らをフォローしています。
次はジュジュ・ミュージックの旗手、キング・サニー・アデの名作「SYNCRO SYSTEM」。
これを初めて聴いたときの衝撃はハンパじゃなかったですね。
アイランド・レーベルの創始者クリス・ブラックウェルがボブ・マーリーのレゲエに続いて仕掛けた音楽がアフリカの音楽。
現地の民族音楽をベースに欧米のロックの要素を導入したナイジェリアのジュジュ・ミュージックはトーキング・ドラムなどの複数のパーカッションによるリズム隊がド迫力で聴くものを圧倒し、当時現地のナイジェリア以外では未発売のアルバムまで集めるほどこの人に夢中になった音楽ファンも多かったと思います。ただレゲエのようにあとが続かなかったのが残念。この名盤が現在廃盤とは残念至極です。
最後は一気にポップなところでこのアルバム。ホール&オーツのヒット作「H2O」。
(ワタシが持っているのはUKのみで発売のピクチャー盤)
当時のワタシは斬新で刺激的だったUKのニュー・ウェーヴほぼ一辺倒。逆にアメリカの音楽、特に"産業ロック"と揶揄された売れ線狙いの大味な音楽が大嫌いで、'70年代を引きずったままのロン毛にベルボトムのパンツというファッションに身を包み、ディストーションがギンギンのギター・サウンド(ニュー・ウェーヴはディストーションは使わない)という、時代の空気が全く読めていないバンドは見ただけで拒絶反応を起こしたもんですが、同じアメリカの音楽でしかも売れ線だったにも拘らずこのホール&オーツだけは例外的に好きでした。
キャッチーながら本質的な部分で本格派のソウルを感じるところが嫌いになれなかった理由だと思いますが、とにかくこのアルバムからは「Maneater」「One On One」などのシングル・ヒットが生まれ、このアルバムも売れまくりました。今でも愛されている名盤でしょう。
以上、取りあえずこの5枚を挙げてみました。これ以外にもまだ挙げたいものがありますが、そうすると元の木阿弥できりがなくなるのでこの辺でやめときます(笑)。
ちなみにこの1983年度のワタシのワースト・アルバムは期待を裏切った出来で残念だったポール・マッカートニー「PIPES OF PIECE」でした。
こんばんは、MASAさん
私もかつて「ミュージック・マガジン」の読者でありました。高校生の時に確か1986年のフィッシュ・ボーンが表紙の号を書店で購入して以来、長いこと毎号買っていましたが、90年代の終わり頃には読まなくなってしまいました。代わりに、1986年のマージービート特集号で初めて手にした「レコード・コレクターズ」は、1988年以降は毎号全部購入しています。(収納が大変です。・・・笑)あと、日本唯一のプログレ専門誌?「ストレンジ・デイズ」も創刊号から揃っています。まさにオヤジ専門誌であります(笑)
「ロッキン・オン」「クロスビート」「スヌーザー」「The DIG」等を購入していた時もありましたが、今は「ロッキン・オン」以外は廃刊してしまいましたね。洋楽が売れないのでしょうがないですけど・・・
by Speakeasy (2014-01-07 20:27)
MASAさんとは歳も近いのに、ぼくが聴いたことがあるアルバムは
次点も含めてわずかに3枚。
名前はみんな知ってるんですけどね~。
ぼくはこのころいったい何を聴いていたんだろう。
後半に出てくるアルバムも『H2O』以外は知りません。
『PIPES OF PIECE』もたぶん聴いたことがないと思う…。
もったいない話ですね~。
by parlophone (2014-01-07 22:17)
Speakeasyさん、こんばんは〜。
「ミュージックマガジン」は1980年1月号から1号も欠かさず2001年の途中まで定期購読していました。
「レココレ」も'85年頃から毎号取っていましたが、ここ数年は面白そうな号しか買わなくなりましたねえ。
「クロスビート」や創刊当時はニュー・ウェーヴの雑誌だった「フールズ・メイト」なんかも一時期取ってたなあ。
CDが売れなくなった業界の不況からか音楽雑誌も最近は休刊が多くて、どんどんなくなっていくのは寂しい限りです。
by MASA (2014-01-07 22:58)
遼さん、こんばんは〜。
まあちょっとマニアックでご存じないアルバムもあるでしょうが、遼さんはこの頃はロックよりも多分ジャズを中心に聴いていたんじゃないでしょうか。
この頃のワタシと言えば、それまでさんざん聴いて来たビートルズ熱も一時的に冷めていた頃で、それよりもとにかく当時盛り上がっていたニュー・ウェーヴに夢中でした^^。
そんな時代のポールはニュー・ウェーヴ勢に押されてつまんないアルバムばかりリリースして「ロックじゃない」などと叩かれ始めた時期で、残念ながら「PIPES OF PIECE」はポールが'80年代にリリースしたアルバムの中で個人的には最もつまんないと思うアルバムです。
by MASA (2014-01-07 23:15)