Shocking Blue「Venus」 [7インチ・シングル]
前回から唐突に始まった洋楽・邦楽問わずいろいろな7インチ・シングル盤を取り上げるこのコーナー、今回はさっそくの第2弾です。
レコード棚からテキトーに1枚引っ張り出してみたのはこのシングルでした。
オランダのロック・バンド、ショッキング・ブルーの「Venus(ヴィーナス)」(国内ポリドール盤 monoヴァージョン)。
ワタシが中2だった1970年の初冬に日本はもちろん世界中で大ヒットした曲で、アメリカでは'70年2月のビルボードの全米チャートで堂々のNo.1を記録。オランダのアーティストの曲が全米でNo.1になったのはこの曲が最初だと思います(最後は知らないけど・笑)。
ちょっと調べたところ、本国オランダでは1969年7月に3枚目のシングルとしてリリースされていて、この時は最高3位どまり。本国よりもアメリカや日本での方が受けがよく、No.1のアメリカに続き洋楽シングルがホントによく売れていたこの時代の日本ではオリコンのシングル・チャートで最高2位を記録しています。
ワタシがこのシングルを買ったのは'70年の秋に出た日本では2枚目のシングル「悲しき鉄道員(Never Married A Rail Road Man)」(こちらもオリコンで最高2位)を買った少しあとになってからで、こっちも買っておかなくちゃと思い後から買いました。
B面の「Hot Sand(ホット・サンド)」もいい曲で、シタールを使用していたりイントロなしでいきなり歌から始まるアレンジなどは今でも斬新です。
とにかく当時ショッキング・ブルーは日本での人気が高く、出すシングルがことごとくヒットしていました。来日してコンサートも行っていて、アナログ時代にこの時のライヴ盤も出ていました。
でもこの曲がNo.1になったアメリカではこの曲以外にヒットが出ず、本国オランダでも「悲しき鉄道員」がNo.1になったあとはパッとせず、しだいに人気は下降線を辿りました。ワタシも次第に興味を失い、'72年頃から日本ではシングル・リリースがなくなって、ついに'74年には解散してしまったようです。
しかしこの曲は'86年になってバナナラマがユーロビート風にアレンジしたカヴァーをリリースして世界中でヒット。全米では再び首位を記録し、日本では当時アイドルだった長山洋子がこれの日本語カヴァーを出してこれもまたヒットしました。
こういう動きを受けてこの頃ちょっとだけ本家のショッキング・ブルーに注目が集まったりもしましたっけね。
アルバムは3枚くらいリリースしているようですが、あまりアルバム単位で評価されることがなく(ワタシもアルバムは未聴)一般的にはほとんど「ヴィーナス」だけの一発屋扱いなのはちょっと淋しいです。
グループの女性ヴォーカリスト、マリスカ・ヴェレスが2006年にガンで亡くなったというニュースを聞いた時には当時それなりにショックを覚えましたが、世界中で永らく愛される曲を1曲でも残せて彼女も本望だったのではないでしょうか。
レコード棚からテキトーに1枚引っ張り出してみたのはこのシングルでした。
オランダのロック・バンド、ショッキング・ブルーの「Venus(ヴィーナス)」(国内ポリドール盤 monoヴァージョン)。
ワタシが中2だった1970年の初冬に日本はもちろん世界中で大ヒットした曲で、アメリカでは'70年2月のビルボードの全米チャートで堂々のNo.1を記録。オランダのアーティストの曲が全米でNo.1になったのはこの曲が最初だと思います(最後は知らないけど・笑)。
ちょっと調べたところ、本国オランダでは1969年7月に3枚目のシングルとしてリリースされていて、この時は最高3位どまり。本国よりもアメリカや日本での方が受けがよく、No.1のアメリカに続き洋楽シングルがホントによく売れていたこの時代の日本ではオリコンのシングル・チャートで最高2位を記録しています。
ワタシがこのシングルを買ったのは'70年の秋に出た日本では2枚目のシングル「悲しき鉄道員(Never Married A Rail Road Man)」(こちらもオリコンで最高2位)を買った少しあとになってからで、こっちも買っておかなくちゃと思い後から買いました。
B面の「Hot Sand(ホット・サンド)」もいい曲で、シタールを使用していたりイントロなしでいきなり歌から始まるアレンジなどは今でも斬新です。
とにかく当時ショッキング・ブルーは日本での人気が高く、出すシングルがことごとくヒットしていました。来日してコンサートも行っていて、アナログ時代にこの時のライヴ盤も出ていました。
でもこの曲がNo.1になったアメリカではこの曲以外にヒットが出ず、本国オランダでも「悲しき鉄道員」がNo.1になったあとはパッとせず、しだいに人気は下降線を辿りました。ワタシも次第に興味を失い、'72年頃から日本ではシングル・リリースがなくなって、ついに'74年には解散してしまったようです。
しかしこの曲は'86年になってバナナラマがユーロビート風にアレンジしたカヴァーをリリースして世界中でヒット。全米では再び首位を記録し、日本では当時アイドルだった長山洋子がこれの日本語カヴァーを出してこれもまたヒットしました。
こういう動きを受けてこの頃ちょっとだけ本家のショッキング・ブルーに注目が集まったりもしましたっけね。
アルバムは3枚くらいリリースしているようですが、あまりアルバム単位で評価されることがなく(ワタシもアルバムは未聴)一般的にはほとんど「ヴィーナス」だけの一発屋扱いなのはちょっと淋しいです。
グループの女性ヴォーカリスト、マリスカ・ヴェレスが2006年にガンで亡くなったというニュースを聞いた時には当時それなりにショックを覚えましたが、世界中で永らく愛される曲を1曲でも残せて彼女も本望だったのではないでしょうか。
タグ:ヴィーナス ショッキング・ブルー
あ!、これ私も持っていますよ~、いまだに(笑)
学生時代に通ったスナックのパパ、この曲が有線で流れると踊りだすのを思い出しました。
by MORE (2013-05-26 13:05)
MOREさん、お久しぶりです。
MOREさんもお持ちですか、このシングル。そうとうヒットしましたからねえ。
学生時代にスナックって、不良だったんですか?(笑)
by MASA (2013-05-27 12:05)