「上を向いて歩こう」US盤7インチ・シングル [7インチ・シングル]
日本人が日本語のまま歌った楽曲として唯一全米チャートでNo.1を獲得した名曲、坂本九の「上を向いて歩こう」が全米でリリースされて今年で50周年だそうで、ワタシは知らなかったのですが、それに伴い現在東京の世田谷文学館でその展示会が行われているそうですね。
そんなワケで、しばらく続いていたももクロ祭りも一段落したところだったワタシは(笑)おもむろにこの曲のシングル盤を引っ張り出したのでありました。
このシングルは80年代半ばに札幌のタワー・レコードの7インチ・コーナーで見つけたもので、再発盤ながらUS Capitol盤です。
"Starline Series"という名盤を再リリースしたシリーズの中の1枚で、残念ながらレーベルはオリジナルのウズマキCapitolではなく、レインボーCapitol。
ご存知のとおり全米でのこの曲のタイトルは「Sukiyaki」ですが、レーベルの曲名ももちろんそのようになっています(上の写真は間違ってB面を撮っちゃいました)。
ちなみにB面はオリジナルの日本盤は「あの娘の名前はなんてんかな」という曲ですが、この再発のUS盤のB面には「Tankobushi(炭坑節)」が収録されています。USオリジナル盤のB面は確か日本盤と同じだったと思います。
一番最初に書いたとおり、この曲は日本人歌手が日本語で歌って全米でNo.1を獲得した唯一の楽曲で世界中でも大ヒットし、今でも海外では有名な曲。この当時は「ボラーレ」('59年)、「ドミニク」('63年)など、英語ではない外国語による曲も全米チャートの首位を狙えるいい時代でした。
「上を向いて歩こう」は日本では'61年(昭和36年)に発売された曲ですが、全米を制覇したのはその2年後の'63年。ビートルズが全米を席巻する1年前です。
この年の6月15日付けのビルボード誌で首位に付いたあと3週連続その座に居座り、この年の年間シングル・チャートでも10位という好成績を記録。全世界での売上げ総枚数は2000万枚と言われています。
オリジナルの日本盤のジャケ。
「上を向いて歩こう」も収録されたUS Capitolからリリースされたアルバム。このアルバム、昔中古レコ屋で見かけたものの買わなかったという、今となっては痛い想い出が。
この曲を歌った時の坂本九は弱冠19歳。NHKのバラエティ番組「夢であいましょう」のために作られた曲ですが、作詞した永六輔はこの曲での九ちゃんの"うーえーをむーふーいーてぇ あーるこうウォウウォウウォウ♪"といった独特の歌い回しが気に入らず激怒したそうです。
実はこれは作曲した中村八大が九ちゃんにこんなふうに歌え、と指示したものだったそうで、ところがあまりに永六輔が激怒するもので、永六輔本人にはこのことが言えなかったそうです。
まあジャズ畑出身でもともと洋楽指向だった中村八大は九ちゃんに洋楽ポップスの歌手のように黒っぽく歌って欲しかったんでしょうねえ。
この曲が発売されたのはワタシが小学校に上がる1年前の6才の頃ですが、記憶にあるのは恐らく全米を制覇した'63年前後。この年日本でテレビの普及率が急上昇し、当時の我が家にテレビが来たのも確かワタシが小学校に上がるか上がらないかの頃ですが、この頃テレビの音楽番組やバラエティ番組で九ちゃんがこの曲をはじめいろんな曲を歌う姿の記憶があります。
そしてこの曲を聴くと今でも当時幼かったなりに憶えている昭和30年代半ばの微かな記憶や空気も同時に蘇ります。まさに映画「三丁目の夕日」そのまんまのあの時代。懐かしいなあ。てか、いつのまにやら年取ったなあ(笑)。
懐かしいものやちょっと珍しい7インチ・シングルを取り上げる記事、今回をきっかけに今後もネタがないときにでもまたやりたいと思います。
そんなワケで、しばらく続いていたももクロ祭りも一段落したところだったワタシは(笑)おもむろにこの曲のシングル盤を引っ張り出したのでありました。
このシングルは80年代半ばに札幌のタワー・レコードの7インチ・コーナーで見つけたもので、再発盤ながらUS Capitol盤です。
"Starline Series"という名盤を再リリースしたシリーズの中の1枚で、残念ながらレーベルはオリジナルのウズマキCapitolではなく、レインボーCapitol。
ご存知のとおり全米でのこの曲のタイトルは「Sukiyaki」ですが、レーベルの曲名ももちろんそのようになっています(上の写真は間違ってB面を撮っちゃいました)。
ちなみにB面はオリジナルの日本盤は「あの娘の名前はなんてんかな」という曲ですが、この再発のUS盤のB面には「Tankobushi(炭坑節)」が収録されています。USオリジナル盤のB面は確か日本盤と同じだったと思います。
一番最初に書いたとおり、この曲は日本人歌手が日本語で歌って全米でNo.1を獲得した唯一の楽曲で世界中でも大ヒットし、今でも海外では有名な曲。この当時は「ボラーレ」('59年)、「ドミニク」('63年)など、英語ではない外国語による曲も全米チャートの首位を狙えるいい時代でした。
「上を向いて歩こう」は日本では'61年(昭和36年)に発売された曲ですが、全米を制覇したのはその2年後の'63年。ビートルズが全米を席巻する1年前です。
この年の6月15日付けのビルボード誌で首位に付いたあと3週連続その座に居座り、この年の年間シングル・チャートでも10位という好成績を記録。全世界での売上げ総枚数は2000万枚と言われています。
オリジナルの日本盤のジャケ。
「上を向いて歩こう」も収録されたUS Capitolからリリースされたアルバム。このアルバム、昔中古レコ屋で見かけたものの買わなかったという、今となっては痛い想い出が。
この曲を歌った時の坂本九は弱冠19歳。NHKのバラエティ番組「夢であいましょう」のために作られた曲ですが、作詞した永六輔はこの曲での九ちゃんの"うーえーをむーふーいーてぇ あーるこうウォウウォウウォウ♪"といった独特の歌い回しが気に入らず激怒したそうです。
実はこれは作曲した中村八大が九ちゃんにこんなふうに歌え、と指示したものだったそうで、ところがあまりに永六輔が激怒するもので、永六輔本人にはこのことが言えなかったそうです。
まあジャズ畑出身でもともと洋楽指向だった中村八大は九ちゃんに洋楽ポップスの歌手のように黒っぽく歌って欲しかったんでしょうねえ。
この曲が発売されたのはワタシが小学校に上がる1年前の6才の頃ですが、記憶にあるのは恐らく全米を制覇した'63年前後。この年日本でテレビの普及率が急上昇し、当時の我が家にテレビが来たのも確かワタシが小学校に上がるか上がらないかの頃ですが、この頃テレビの音楽番組やバラエティ番組で九ちゃんがこの曲をはじめいろんな曲を歌う姿の記憶があります。
そしてこの曲を聴くと今でも当時幼かったなりに憶えている昭和30年代半ばの微かな記憶や空気も同時に蘇ります。まさに映画「三丁目の夕日」そのまんまのあの時代。懐かしいなあ。てか、いつのまにやら年取ったなあ(笑)。
懐かしいものやちょっと珍しい7インチ・シングルを取り上げる記事、今回をきっかけに今後もネタがないときにでもまたやりたいと思います。
いいですね!
一時はeBayでアルバムを毎日チェックしていました。
九ちゃんは通っていた幼稚園の先輩なんです。
運動会に来てくれたことを昨日のことのように覚えています。
ただ、頭の中にある場面はモノクロですが・・・(笑)
あの笑顔にまた会いたいですね!
by paddies (2013-05-07 06:07)
paddiesさん、こんばんはー。
おー、なんと!幼稚園の先輩ですかー。すごいですね。
あの日航機墜落事故のニュースを知った時はビックリしたし残念に思いました。
いつも絶やさなかった屈託のない笑顔が懐かしいです。
by MASA (2013-05-07 22:37)