1970年11月のヒット・シングル [Rock / Pops]
もう長きに渡って仲良くさせてもらっているブログ仲間のParlophone(遼)さんの11/08のブログはシカゴの記事だったのですが、その中で出て来た1970年11月30日付けのオリコンのシングル・チャートのベスト20。39年前のちょうど今頃のヒット曲のチャートを見たら当時受験勉強中だった中3の頃を思い出し、とっても懐かしくなりました。
当時は深夜放送ブームの走りの時代で、ニッポン放送「オールナイトニッポン」、TBS「パック・イン・ミュージック」、文化放送「セイ!ヤング」の3番組はどれも'68年前後に放送を開始した各局の深夜放送の3大看板番組でしたが、主にこういった深夜放送でよくかかっていた曲ばかりのヒットチャートです。
途中から全国ネットになった「オールナイトニッポン」以外の2番組は東京のそれぞれの局の周波数に合わせてジャミングやノイズに埋もれた放送を聴いていましたが、3番組とも放送開始が午前1時からで裏番組のライバルどうし。
いまでこそこんな時間はまだ宵の口ですが、この時間にはほとんどのTV放送が終了し、日本国民が遅くとも午後10時、11時までには就寝していたのが当たり前だった昭和40年代の半ばは、午前1時はまさに深夜でした。
そんな時間に眠い目をこすりながら、私は深夜放送を'70年の中3の頃から聴くようになり受験勉強のBGMにしていたものです。
'70年代までは深夜放送に限らずラジオの聴取率自体が現在よりもはるかに高かった時代で音楽番組が多く、当時の学生でラジオを聴いていない人はほとんどいないと言っていい時代でありました。
今は洋楽を聴いているというだけで音楽通とかマニアとかいう目で見られたりする場合もありますが、当時は歌謡曲を聴くように誰もが当たり前に洋楽を聴いていた時代。何しろまだまだ日本はアルバムよりもシングル中心で聴かれていた時代です。アルバムどころか、お金がない中学生は月に1〜2枚シングル盤を買うのが精一杯でした。
そんな私の思春期とも重なる時代にラジオでかかりまくっていた洋楽や邦楽のヒット曲の数々。未だに忘れるはずもありません。
その1970年11月30日付けのベスト20の詳細は遼さんのブログで確認していただくとして、そのうち私は下の5枚のシングルを持ってました。
数年前に中古で入手した「京都の恋」以外はすべて当時リアルタイムで買ったものですが、まずは洋楽を差し置いて堂々の1位だったのがその渚ゆう子「京都の恋」、邦楽繋がりで4位がソルティー・シュガー「走れコータロー」。
数年の下積みの末、やっと大ヒットに恵まれた渚ゆう子の「京都の恋」はご存知ヴェンチャーズが日本人歌手のために書き下ろした曲。
歌謡曲は深夜よりも昼間〜夕方の時間帯によくかかりましたが、とにかく当時はラジオでかからない日はなかったくらい毎日のようにかかっていた。次のシングル「京都慕情」と並んで名曲です。
ソルティ・シュガーは'74年に「岬めぐり」のヒットを飛ばす山本コウタロー&ウィークエンドの山本コウタローが在籍していた当時大学生4人組のフォーク・グループ。
「走れコウタロー」は当時の美濃部東京都知事のモノマネや早口で実況する競馬中継のアナウンサーのモノマネを取り入れたコミック・ソングで、言わばフォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」路線の小学生から大人にまで幅広くウケた大ヒット曲。曲はフォークというよりもブルーグラスに近いかも。
まあイロモノだったので残念ながらあとが続かず、このグループはこれしかヒット曲が出ないまま解散しました。ジャケのメンバーの似顔絵のイラストはあの針すなお。
この映像は山本コウタローがいない、TV出演のために一時的に再結成した時のもの。
そして2位がジェリー・ウォレス「マンダム〜男の世界( Mandom- Lovers Of The World)」。
男性化粧品マンダムのCMソングとして大ヒットした曲で、このCM用に書かれたオリジナル曲。
そのCMに出演していたチャールズ・ブロンソンが写っている右のジャケはヒットしたあとの出荷分から付けられたもので、最初は左のような何にもない砂漠の写真だけでした。
歌っているジェリー・ウォレスという人はアメリカのC&W界では有名な歌手だったようですが、私は全然知りません。まあ日本では一発屋と言っても差し支えないでしょう(笑)。
You Tubeに当時の貴重なCMがありました!ブロンソン、シブイねえ。ウ〜ン、マンダム。
3位は現在も一部でファンがいるショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員( Never Marry A Railroad Man)」。
ショッキング・ブルーと言えば、何と言ってもオランダのアーティストとしては初めて全米No.1ヒットとなった「ヴィーナス(Venus)」が最も有名ですが、
ちなみにこちら↓
このシングルはその「ヴィーナス」に次ぐ2枚目のシングル。
日本では大ヒットしましたが全米では振るわず、確か30位台かそれ以下のヒットだったと思います。日本ではこのあとも出すシングルがことごとくヒットし、来日もしました。
ヴォーカルの紅一点、マリスカ・ヴェレスは数年前に亡くなっています。
ランキングが飛んで12位は、フランスの歌姫シルヴィ・バルタンの「悲しみの兵士」。
シルヴィ・バルタンは'64年の大ヒット曲「アイドルを探せ」を小学生の時に聴いて以来のファンなのですが、このシングルは確か当時数年振りの久しぶりのシングルだったように思います。
この人は'68年に交通事故に遭い、顔がメチャメチャになってその後整形手術で人相が変わってしまったのですが、このジャケ写真は事故前のものです。
まあ日本では今でもCMに使われているこの次のシングルだった「あなたのとりこ」の方が今では有名になってしまいました。
日本では'70年に出たこの曲はフランス本国では'68年の交通事故後にリリースされた復帰第1作目。
人相が変わってちょっとキツい顔になっていますが、とても整形したとは思えない美貌。↓
ちなみに、遼さんの記事のメインであるシカゴは'71年発売のシングル「ロウ・ダウン(日本語版)」「クエスチョンズ 67/ 68」(再リリース盤)の2枚のシングルとベスト盤のアルバム1枚しか持ってません^^;。
当時は深夜放送ブームの走りの時代で、ニッポン放送「オールナイトニッポン」、TBS「パック・イン・ミュージック」、文化放送「セイ!ヤング」の3番組はどれも'68年前後に放送を開始した各局の深夜放送の3大看板番組でしたが、主にこういった深夜放送でよくかかっていた曲ばかりのヒットチャートです。
途中から全国ネットになった「オールナイトニッポン」以外の2番組は東京のそれぞれの局の周波数に合わせてジャミングやノイズに埋もれた放送を聴いていましたが、3番組とも放送開始が午前1時からで裏番組のライバルどうし。
いまでこそこんな時間はまだ宵の口ですが、この時間にはほとんどのTV放送が終了し、日本国民が遅くとも午後10時、11時までには就寝していたのが当たり前だった昭和40年代の半ばは、午前1時はまさに深夜でした。
そんな時間に眠い目をこすりながら、私は深夜放送を'70年の中3の頃から聴くようになり受験勉強のBGMにしていたものです。
'70年代までは深夜放送に限らずラジオの聴取率自体が現在よりもはるかに高かった時代で音楽番組が多く、当時の学生でラジオを聴いていない人はほとんどいないと言っていい時代でありました。
今は洋楽を聴いているというだけで音楽通とかマニアとかいう目で見られたりする場合もありますが、当時は歌謡曲を聴くように誰もが当たり前に洋楽を聴いていた時代。何しろまだまだ日本はアルバムよりもシングル中心で聴かれていた時代です。アルバムどころか、お金がない中学生は月に1〜2枚シングル盤を買うのが精一杯でした。
そんな私の思春期とも重なる時代にラジオでかかりまくっていた洋楽や邦楽のヒット曲の数々。未だに忘れるはずもありません。
その1970年11月30日付けのベスト20の詳細は遼さんのブログで確認していただくとして、そのうち私は下の5枚のシングルを持ってました。
数年前に中古で入手した「京都の恋」以外はすべて当時リアルタイムで買ったものですが、まずは洋楽を差し置いて堂々の1位だったのがその渚ゆう子「京都の恋」、邦楽繋がりで4位がソルティー・シュガー「走れコータロー」。
数年の下積みの末、やっと大ヒットに恵まれた渚ゆう子の「京都の恋」はご存知ヴェンチャーズが日本人歌手のために書き下ろした曲。
歌謡曲は深夜よりも昼間〜夕方の時間帯によくかかりましたが、とにかく当時はラジオでかからない日はなかったくらい毎日のようにかかっていた。次のシングル「京都慕情」と並んで名曲です。
ソルティ・シュガーは'74年に「岬めぐり」のヒットを飛ばす山本コウタロー&ウィークエンドの山本コウタローが在籍していた当時大学生4人組のフォーク・グループ。
「走れコウタロー」は当時の美濃部東京都知事のモノマネや早口で実況する競馬中継のアナウンサーのモノマネを取り入れたコミック・ソングで、言わばフォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」路線の小学生から大人にまで幅広くウケた大ヒット曲。曲はフォークというよりもブルーグラスに近いかも。
まあイロモノだったので残念ながらあとが続かず、このグループはこれしかヒット曲が出ないまま解散しました。ジャケのメンバーの似顔絵のイラストはあの針すなお。
この映像は山本コウタローがいない、TV出演のために一時的に再結成した時のもの。
そして2位がジェリー・ウォレス「マンダム〜男の世界( Mandom- Lovers Of The World)」。
男性化粧品マンダムのCMソングとして大ヒットした曲で、このCM用に書かれたオリジナル曲。
そのCMに出演していたチャールズ・ブロンソンが写っている右のジャケはヒットしたあとの出荷分から付けられたもので、最初は左のような何にもない砂漠の写真だけでした。
歌っているジェリー・ウォレスという人はアメリカのC&W界では有名な歌手だったようですが、私は全然知りません。まあ日本では一発屋と言っても差し支えないでしょう(笑)。
You Tubeに当時の貴重なCMがありました!ブロンソン、シブイねえ。ウ〜ン、マンダム。
3位は現在も一部でファンがいるショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員( Never Marry A Railroad Man)」。
ショッキング・ブルーと言えば、何と言ってもオランダのアーティストとしては初めて全米No.1ヒットとなった「ヴィーナス(Venus)」が最も有名ですが、
ちなみにこちら↓
このシングルはその「ヴィーナス」に次ぐ2枚目のシングル。
日本では大ヒットしましたが全米では振るわず、確か30位台かそれ以下のヒットだったと思います。日本ではこのあとも出すシングルがことごとくヒットし、来日もしました。
ヴォーカルの紅一点、マリスカ・ヴェレスは数年前に亡くなっています。
ランキングが飛んで12位は、フランスの歌姫シルヴィ・バルタンの「悲しみの兵士」。
シルヴィ・バルタンは'64年の大ヒット曲「アイドルを探せ」を小学生の時に聴いて以来のファンなのですが、このシングルは確か当時数年振りの久しぶりのシングルだったように思います。
この人は'68年に交通事故に遭い、顔がメチャメチャになってその後整形手術で人相が変わってしまったのですが、このジャケ写真は事故前のものです。
まあ日本では今でもCMに使われているこの次のシングルだった「あなたのとりこ」の方が今では有名になってしまいました。
日本では'70年に出たこの曲はフランス本国では'68年の交通事故後にリリースされた復帰第1作目。
人相が変わってちょっとキツい顔になっていますが、とても整形したとは思えない美貌。↓
ちなみに、遼さんの記事のメインであるシカゴは'71年発売のシングル「ロウ・ダウン(日本語版)」「クエスチョンズ 67/ 68」(再リリース盤)の2枚のシングルとベスト盤のアルバム1枚しか持ってません^^;。
いやぁ、懐かしいっすね♪
って、知らないのも多いですけど…
やっぱ、う〜んマンダム♪っすね。
ブロンソンしぶ過ぎっす!
by へどろん (2009-11-11 23:38)
へどろんさんの世代ならほとんど知らないでしょ、この辺は。
まあ我々オヤジ世代の成せる技です(笑)。
ブロンソンはシブカッコイイですね。男臭さプンプン。
映画の「DEATH WISH」シリーズが懐かしいっす。
by MASA (2009-11-12 00:16)
どうもです。なつかしいシングルばかりでいいですね!
後追いですが
「悲しき鉄道員」(「ビーナス」も)は僕も持っていてたまにモノ針で聴いてます^^
by tamachi (2009-11-12 23:19)
tamachiさん、こんばんはー。
ショッキング・ブルーはお持ちなんですね。2曲とも名曲ですね。
2枚ともモノ盤で、ステレオ・ヴァージョンを聴いたことがありませんでしたが、You TubeにUPされている動画にステレオ音声のがあってちょっと感動しました^^。
ベスト盤はステレオなのかなあ。
by MASA (2009-11-12 23:34)
MASAさん、こんばんはー。
うちの記事を紹介していただいてありがとうございます。
こちらからもトラバさせていただきたいと思います。
ところでMASAさんの記事を拝見して、いくつか自分の知らないことや記憶が間違っていたことに気づきました。
まず「男の世界」がCMのために書かれたオリジナル!だったこと。
当時の化粧品会社って金持ちだったんですねー。
それからぼくはソルティ・シュガーとウィーク・エンドをおなじバンドみたいに思い込んでて、「走れコータロー」も「岬めぐり」もおなじバンドのヒットだと思ってました。
そういえば名前違いますよね(爆。
もうひとつ、事故に遭うまえのシルヴィー・ヴァルタンって可愛かったんですね~^^
シカゴのシングルのピクチャー・スリーヴもなんだかほとんど記憶に残ってなくて、楽しく拝見しました♪
by parlophone (2009-11-13 00:13)
遼さん、どーもです。
「男の世界」、オリジナルなんですよ。ジャケのライナーを読むと、作詞・作曲はアメリカ人だし、レコーディングもアメリカで行なわれているようなので、ホント、お金ありますね(笑)。
ウィークエンドもソルティ・シュガー同様、結局「岬めぐり」一発でしたね。
山本コウタローもヒットが続かない人です(笑)。
シルヴィ・バルタンは「アイドルを探せ」の20代そこそこの頃がやっぱりいちばんカワイイですが、事故前だとこの頃もなかなかイケてますね。
事故後はだんだん能面みたいな顔になっちゃってねえ(笑)。
だいぶフケましたが、今でも現役なのがうれしいです。
シカゴの「ロウダウン」は日本語版ですが、当時クラスメイトに「ハァ?何でオリジナルの英語版買わなかったんだよー」とわけもなく責められました(笑)。
今ではこっちの方が貴重になったのでよかったですが「クエスチョンズ〜」も日本語版買うんでした^^;
by MASA (2009-11-13 00:51)
MASAさん、どうもです^^
>ベスト盤はステレオなのかなあ。
僕もステレオで聴いてみたいですね。
機会があれば手に入れて聴いてみたいのとも思いますが、
やはりこの2曲はジュークボックスのシングル向けでしょうか。
どなたかステレオで聴いたことがあるかたおりますか?
by tamachi (2009-11-13 00:58)
tamachiさん、再びどうもです。
特にジュークボックス向けということではなく、時代的にまだモノで出ていたシングルはたくさんありましたから、これが普通だと思います。
この2曲のステレオ・ヴァージョンは多分ですがCD時代になってから出たもので、アナログ時代はモノしかなかったのではないかと思いますね。
ちゃんとステレオで聴いてみたいですね。
by MASA (2009-11-13 01:21)
MASAさん、こんばんわ^^
ちょっと言葉が足りませんでした。このシングルがモノラルだからという意味でなく、小学生のときに通ったゲームセンターのジュークボックスで
よく聴いたから、という意味でした。当時は曲名すら知らなかったのですが
あとでわかってこの曲をきくたびに当時のゲームセンターを思い出します(笑い)
それでは次回も楽しみにしております。
by tamachi (2009-11-13 22:47)
あ、そういう意味ですね。分かりました^^。
ジュークボックスはヒット・シングルばかり入ってましたからね。
そのとおりだと思います。
ジュークボックス、昔は1台欲しかったですねえ。
自分の持っているシングル盤を全部入れて聴くのが夢でした^^。
by MASA (2009-11-13 23:39)
何故か全部知っている、年齢不詳な人です(笑)
そして、持ってません(爆)
シルヴィ・バルタンの顔の事は知りませんでしたー!
そんな大変な事があったのですね。
ブロンソンも後ろの、モニュメントバレーが気になります。
近くまで行ったのに・・・・
もう少し近づけばよかったな~^^;
by bluebird (2009-11-14 00:05)
キミ、ホンマはいくつやねん(笑)
シルヴィ・バルタンは一時は再起不能か、なんて言われたようですよ。
ちょっと人相は変わったけど、キレイな顔に戻って何よりですわ。
モニュメントバレーとか、ナイアガラの滝とか行きたいなあ〜。
近くまで行けただけ羨ましいっす^^。
by MASA (2009-11-14 00:14)